ムハンマドちゃん

お寿司がすきです

五億kgの荷物

 

久々に文章を書く気持ちになりました。

 

先月猛烈にダイエットをしていたのですが、唐突に「あ、どうせ死ぬからどうでもいいや」となってしまい、体重計も見ずに過食していました、結果、スーパーデブになりました。

 

デブになると今まで大好きだったお洋服も、メイクも、全部に興味がなくなって、ああ人はこうやって廃人になっていくんだなあ、としみじみと感じました。

 

そんな前置きはさておき、私は躁鬱と境界性というお荷物を抱えています。診断からだいぶ月日が経ったので、お荷物の扱いにもだいぶ慣れてきた今日この頃ですが、ここ数日解離の症状が出てきて、頭を抱えています。

まず、幻覚が見えるようになりました。例えば、布団が船のように揺れているのです。こんな狭くて散らかった部屋から抜け出したいと言う深層心理なのかもしれません。船の先は怖いから、布団の端にうずくまって、ここなら安全、ここなら安全、とその場をやり過ごしています。

幻覚に続いて、解離するようになりました。ある時間の記憶だけ、すっぽりないのです。昨日ウーバーイーツをしようとしてアプリを開いたら、全く身に覚えのないインドカレーチーズナンセットを注文していました。解離していても好物は譲れないのだなあと感心しました。感心している暇ではありません。本当に怖くて、信じられなくて、いつどこで食べたのかもさっぱり覚えてないし、自分という人間が怖くて戦慄しました。

そして一昨日かその前か、その辺りの記憶も曖昧ですが、些細なことで母と喧嘩しました。やっぱりこれもよく覚えていません。泣き叫んだり、家の窓から飛び降りようとして親に力づくで止められた記憶はぼんやりあるのですが、今日帰宅して、陶器製の割れた犬の餌入れがゴミ袋に入っているのを見て愕然としました。私が投げて割ったのを、曖昧ながら思い出しました。私はなんて最低なことをやってのけてしまったのでしょう。自分で自分に落胆、絶望しました。こんなに最低なタスクをいくつもこなし、しかもそれを自分で覚えていないのです。もう、泣きたいけど泣く資格もありません。同級生はこの春から社会人だというのに、当の私は引きこもりで、就活もせず、親の脛をかじって、おまけに家で暴れて、マジの最低です。こんなマジの最低な私にも普通に振る舞ってくれる親に申し訳ないなんて言葉じゃ収まりません。

 

躁鬱や境界性については、入院からもう二年半ほどが経ち、自分自身の症状との付き合い方がわかってきたので、やっとこのお荷物と一緒に生きる覚悟ができるようになってきました。渋々ですが。しかし、ここでさらに解離性障害なのか、統合失調症なのか、新しいお荷物が増えてしまったらそれはもう私の手には到底負えません。元々のキャパが米粒程度なので、シンプルに無理です。

勿論私なんかよりよっぽど辛い思いをしている人がいるのは百も承知ですが、私はこれ以上背負っていける気がしません。背負い投げできるものでも、そんな体力も私にはありません。本当に、本当にゴミなので。以上です

 

 

 

 

躁鬱ダイエット

 

年頃の女にとって、縁を切りたくても切れないものの一つがダイエットだと思います。いや私は体型に悩んでないわ一緒にするなデブ、という意見もあるかとは思いますが、少なくとも私にとってはダイエットは人生、いや正直に言えばストレスの大きな根幹を成しているものの一つなのです。

 

私が初めてダイエットしたのは高一の始めごろでした。きっかけは数ヶ月後に控えたヴィジュアル系バンドのライブ。少しでも細く可愛い状態でライブに行きたい!という至極気持ちの悪い邪念が芽生えたのです。当時ダイエットのダの字も知らなかった私は、とにかく食事制限だけで痩せようとしてしまいました。最初のうちは単純に食事の量を減らす程度だったのですが、少し体重が落ち始めてから、自分の中の何かに火がついてしまったようで、食べたもののカロリーを一ミリ単位で全て記録するようになりました。そんなのアホほど誤差だろという調味料まで、いちいち調べて「醤油は大さじ1で何カロリーで、ごま油は大さじ1で何カロリーで…」みたいなことまで暗記したりしていました。英単語を暗記するべきでした。その日の摂取カロリーが少なければ少ないほど気持ちが良く、多ければ落ち込むようになってしまいました。食べたいけれど食べたら肉がつくという極端な思考の板挟みで、誘惑に負けてメロンパンを食べてしまい、悔しくて泣いたこともありました。馬鹿馬鹿しい話です。

そんなこんなで、確か二ヶ月程で3、4キロ落としたのだと思います。ヴィジュアル系バンドのライブでは、大きなステージから私のことなんか見えるわけもないのに、少し痩せたのでルンルンでした。アホたれです。

 

しかしそんなアホたれだった私に大きな危機が訪れます。夏休みに入って、カナダに三週間ほどホームステイをすることになります。そこで、それまで限界まで抑えられていた私の食欲は爆発してしまいました。そもそも出てくる料理は肉ばかり、しょっちゅうパーティーに出かけてこれも肉ばかり、家には好きに食べていいわよと言われたケーキやマフィン、もう死ぬほど貪るように食べてしまいました。そうしてすっかりカナダライズされたムチムチボディになって帰国したのですが、体重計に乗ってみて絶望しました。当然ですが、ダイエット前よりも体重が爆増していました。あれだけの努力とストレスが、たった三週間で水の泡。プラマイゼロ、むしろマイ。この出来事自体が大きなストレスになり、そして食欲の爆発は限界を知らず、今度は過食癖がついてしまいました。学校の帰りにコンビニをはしごしてお菓子や菓子パンを買い漁り、気持ち悪くなるほど食べる日々の繰り返しでした。多分ちょっと病気でした。そうしてブクブク太り、高一の秋から高二の終わりまで、過去最大体重をキープしてしまったのです。今より12キロ、デブでした。その頃の写真を見ると顔も太腿もパンパンで、見るに耐えません。

 

高三の受験期に入り、段々体重のことを考えている暇などなくなり、少しずつ元の体重に戻っていきました。そのまま大学生になりそれでもまあ最初の頃は普通にデブでした。

 

それでも大学に入ってから確実に、特に意識することはなくても体重は緩やかに減ったと思います。多分、タバコです。口寂しければタバコを吸えばいいし、なんだかタバコを吸うと食欲がなくなる気がするのです。タバコダイエット有効説を私は提唱しています。(但し肌は荒れました。肌荒れと体重どちらが大事か、というのは人による気がしますが そして、単純に出費が増えます。最近また値上げしてオンオン泣いています)それから多少の体重の増減はあったものの、特に気にするほどではありませんでした。

 

話が長くなりましたが、私のダイエット歴はこんな感じです。そして数ヶ月前から、またダイエットを始めました。

 

というのも、前に書きましたが、数ヶ月前にリンパの腫れで高熱が何週間も続いて、水とパピコとかき氷しか口にできなくなり、体重がストンと過去最低まで落ちました。

そこでまた変なところに火がついて、どこまで痩せられるかというダイエットを始めました。食事制限だけだと絶対リバウンドして高校の頃の悪夢を繰り返すことになると学習したので、プチ食事制限とウォーキング程度の運動、さらに我が家にリングフィットアドベンチャーがやってきて、筋トレもするようになりました。リングフィットアドベンチャーについてはどハマりし、開始数週間で腹筋が割れ始めました。流石に下半身デブで腹筋だけ割れているのはキモいので、腹筋系の筋トレはあまりやらないようにしています。

 

私は昔からとにかく下半身デブ、今風に言えば超ウェーブ体型で、上半身にはあまり肉がつかず、代わりに下半身はとてつもなくお相撲さんなのです。ですから、長いスカートを履いて太い脚を隠せば、上半身が華奢を超えてもはや貧相なので、ヤバい体重でもあまり太っているようには見えないのかもしれません。所謂着痩せ体質です。

 

そういうわけで、この機会にどうしても足痩せしたくなり、筋トレは下半身を重点的に、出かける時は敢えてミニスカートを履いて痩せたい意識を絶やさないようにしたりしています。以前よりちょっとだけ、足も細くなった気がします。

 

 

…と、つらつらと書きましたが、二週間ほど前、急に気分が落ち込み、何もせずボーッと天井を見ながら数時間経っていたり、所謂鬱なのでしょか、もうダイエット意識などなくなってきてしまいました。リングフィットアドベンチャーは一応やるけれど義務的で、それよりやけ食い状態になり、家にあるものを端から端まで食べるようになってしまいました。その時に、ああ、ダイエットで段々痩せて生き生きとしていた期間ってめちゃくちゃ躁状態だったなあ、と思いました。今まで躁と鬱の変化について実感したのは、閉鎖病棟に入院した頃だけで、それからは「こんなんずっと人生鬱だわ!躁になれるならさっさと躁転したいわ!躁の方が楽しいに決まってるわ!」と躁鬱を舐め腐っていましたが、今回の件で二年ぶり位に躁と鬱の変化を味わった気がします。躁状態の時はもう毎日、鬱ダナァとか抜かしながらも色んなことを積極的にできて、今回はダイエットでしたが、この数ヶ月は気分が好調だったと思います。ところが突然やる気がなくなって、どうしてあそこまで身軽だったのだろう、どうして楽しかったのだろう、ああ、あれは躁転していたからだったのか、と認識して暗い気持ちが加速します。躁鬱の厄介な所だと思います。なんかもう、絶望の無理ゲーです。

鬱病の人は食欲もなくなるようですが、精神科医曰く躁鬱体質の人は過食傾向にあるようです。私は高校のリバウンド期からなんだかんだ過食癖が残っていて、たまにイライラしたりすると吐くほど過食してしまいます。今回もそんな感じです。

 

ダイエットを盾にしてメンヘラアピすんなという声が聞こえてくるのは重々承知ですが、そもそも自分をメンヘラだとか思っていませんし、私的にはマジで下手なダイエットは躁と鬱の繰り返しだと思います。というか、私がダイエットが苦手すぎるのかもしれません。私だって体重を気にせず生きられる人種になりたいです。もっと欲を言えば、私だって濃い化粧を施さなくても可愛いと言われる人種になりたいです。こんな事を言ったら親に申し訳ないのですが、容姿も、中身も、素材が悪すぎるのです。それでも素材のせいにしてはいけないし、だからこそ今までダイエットしたりお化粧を頑張ったりしてきましたが、なんかもう、駄目モードです。躁状態の時に痩せてお化粧もスキンケアも頑張って、躁転貯金でもしておけば良いのでしょうか。それでもまた鬱になった時に全てが馬鹿馬鹿しくなってしまうのでしょうか。めちゃくちゃ生き辛いわ、なんだこれ、マジ、何なのでしょうか。

 

そして、こういう駄文を書いている時って大体何もする気が起きず、嫌な気分を文章に起こして幾分かマシになりたい時なので、これを書き始めた時点でもうそういうことです。やっぱり躁転したくなってきました。waiting for the 躁転 以上です

 

 

 

クソリンパ

 

何度かお話したのですが、ここ数週間、原因不明の発熱と、時間の経過に伴ってどんどん大きくなり今やチロルチョコ大にまで腫れた首のリンパの痛みに悩まされていました。

起き上がるのがだるくて、課題をするのもやっと、毎週の語学の課題は友達にやってもらうというゴミぶりを発揮していました。

 

近所の内科でPCR検査を受けても陰性、レントゲンでも血液検査でも調べられる限りでは原因不明ということで、大きい病院に紹介状を書いてもらい、先日の火曜日に行ってきました。

病院に着いて熱を測ると39.3度だったので、問診票を書くところから待合室まで完全隔離、トイレも隔離された中のトイレを使うように言われ、9:30の予約で行ったのに結局診察されたのは11:30で、もう早起きで寝てないし具合も悪いし横になりたいし密閉空間だし、で機嫌が最悪でした。

可能性のある病気を片っ端から調べる、ということで、HIVの検査まですると言われ、いやいや仮にHIVだとしても知りたくないし調べたくもないし親がいる手前陽性だったらどうすんだよ調べるなクソが、と思いましたが、結果的には陰性でした(当たり前)。一通りの色々な検査をしたのですが、片っ端から調べるということだったので、血液検査の時に両腕から大量に血を採っていました。普段から採血はたまにするので慣れてはいるつもりなのですが、いつもは片腕だけだし、エッそれ血吸いすぎじゃない…?という量を両腕から採っていて、体調万全でなかった私は二本目の腕の採血中にクラクラしてきてギブアップしてしまいました。ベッドに寝かされてグルグルしながら、こんなに採ったらHIVがちゃんと検査されちゃうヨォとかいうアホな事をずっと考えていました。

それで、またその隔離待合室で検査の結果が出るまで何時間か待たされ、病室に呼ばれて告げられたのは「壊死性リンパ節炎」というあまり耳にしたことのない病名でした。壊死!?壊!死?と字面のイカつさに思わず鼻の穴が膨らみました。しかしよくよく聞いてみると、決して深刻な病気ではないそうです。壊死性リンパ節炎というのは、菊池病とも呼ばれるらしく、なんかよくわかんないけど何らかの原因でリンパ節が腫れて発熱し、それが一、二ヶ月程続くものらしいです。治療法がないので、自然に治るまで解熱剤や鎮痛剤で誤魔化していくしかないそうです。よくわかんないけど、高熱と待ち疲れで頭がボーっとしていたのでヘェと思いながら解熱鎮痛剤をもらい、夕方頃家に帰りました。

家のベッドで横になり、スマホでも検索したりしながら、いや、よくよく考えてみたら割と厄介な病気じゃね?という気がしてきました。治るならスパッと治る方がいいし、治らないなら治らないでもう不謹慎ですが癌とかでもよかったです。死に至る病でよかったです。キルケゴールです。

実際解熱剤生活を始めてみたのですが、なんだか薬飲んでる方が身体がだるいというか、38度位だったら熱出してた方が具合はマシな気すらしました。とにかく薬でピタッと楽になる!というものではありませんでした。マジで自然に治るまで「耐える」のです。まだ症状が出てから三週間足らずですから、折り返し地点かもしれません。これで折り返し地点とか、マジで死んだ方がマシです。生まれてこの方こんなにも自分のリンパを恨んだのは初めてです。お前がチロルチョコみたいになってるからこんなんなんだよ!と握り潰したくなりますが、触るだけで痛いので握り潰せません。

 

それから数日、チロルチョコみたいな腫れはサクマドロップくらいになり、代わりにマーブルチョコくらいの小さくて触るとめっちゃ痛いリンパが首のあちこちに増えました。何もしてないのに!私は何もやってない!のに勝手にリンパの腫れが増えて勝手に痛くなりました。そして、何もしていない!のに喉仏の左右の筋?みたいなところにまでマーブルチョコリンパができ、筋自体も熱を持って痛みだしました。私のせいではありません。

それで今日、病院の再診日だったので、朝から病院に行ってきました。「なんか首の液を取るとか言ってたわよ」とかいう母親の言葉を又聞きし、首に注射されるのではという恐怖に慄きながら出向きました。先日には出ていなかった血液検査の結果も出て、どうやら壊死性リンパ節炎というのは確定のようでした。首のエコーの検査をやりますと言われて、首に注射するわけではないのだと安心しました。先生が何やら聴診器のような機械を首に当てると、画面に豆粒のような塊がいくつも映し出され、これが私のリンパかあと、赤ちゃんを見ているような気持ちになりました。実際は赤ちゃんなんてかわいいものではなく、クソリンパです。

 

そういうわけで、私の原因不明の発熱はリンパの病気でした。熱が出る前日くらいから首を寝違えたような痛みがあり、本当に首を寝違えたと思っていたのですが、日を重ねるごとに首の痛みは強くなり、今は熱より首の痛みの方が強いです。こんなことになるとは思っていませんでした。まあ悪性のリンパ腫とかそういう重い病気ではなく自然治癒するまで我慢するような病気で、かつ人に感染するものでもないので、薬を飲みつつ調子の良い日にはまた散歩にでも出かけようと思います。血液検査の結果的にやはり今頃がピークらしいので、数週間したら遊べるようになると思います。横になっていれば楽なので、電話もできます。それにしても、この長い高熱がリンパのせいなんて少しも思っていませんでした。リンパなんてYouTuberの小顔マッサージのために存在しているようなものだと思っていました。美容のためにリンパを流して〜とかほざいてる奴らにリンパを舐めるなとブン殴りたいです。お前らはリンパがチロルチョコみたいになったらそれでもリンパを流すのか?と問いかけたいです。話が逸れました。何事も、どんなところに原因があるかなんてわからないものだなあと思いました。人生何事も経験❗️と思って生きているので、今回のこともどうせ治るしなんてことはないのですが、なんせ今まで健康体で身体の病気になったのが物珍しかったので、文章に起こしてみました。というか、病名に「壊死性」とかつけてビビらすのは良くないと思います。どうせ私は死なないのに。そして、しつこいようですがHIVでもなくて本当に良かったと思いました。クソリンパで、まだマシでした。以上です

 

 

 

コロナまがい

 

もうかれこれ十日近く38度前後の熱が続いています。

最初は本当に一晩で治ると思っていました。学期始めに熱を出し、一晩で下がるのが大学に入ってからの恒例行事だったので。

しかし、37度前半まで下がったと思ったら翌朝38度強まで上がっていたり、結局明日には下がる明日には下がると思い続けて今に至ります。今朝なんて寝ついて2時間くらいで目が覚め、39度近くまで上がっていてアッこれは死ぬ?と思いました。これまでまともに風邪を引いたこともなかったし、ましてやこんなに長期間高熱が続くのなんて初めてですから、これはやっぱりおかしいんじゃないか、もしかしたらコロ…なんじゃないか、と思って、今日のお昼に病院に行ってきました。PCR検査とかいう流行の代物を受けさせられて少しテンションが上がりました。教養のない私はPCR検査って卍最先端技術卍って感じだし何するんだろうな〜とか思っていたのですが、普通にインフルの検査する時と同じ鼻の奥まで棒を突っ込んでグリグリするやつでした。22歳、普通に痛くて泣きました。

検査の結果は数日しないとわからないそうですが、多分コロ…ではないです。咳も出なけりゃ苦しくもなく、味覚嗅覚も正常です。果たしてこれは一体何の熱なのでしょう。

 

発熱している状態がこうも続くと、それがデフォルトになってしまって最早体調の悪さなど感じなくなります。平熱38度です。今朝みたいな更なる発熱はさすがにキツかったですが、それも治まりあれっ私元気じゃね?熱下がってね?と思って体温計を手にしても、普通に38度です。大学のレポートもこの一週間で6本くらい出しました。(死にそうになりましたが熱が出ていなくても死にそうになっている)しかしながら、私はこの年になっても語学の単位を残しまくっているのですが、英語とドイツ語を読んだり訳したりしているとめちゃくちゃ頭がクラクラしてくるのです。脳を使う部位の違いなのでしょうか。身体が「無理」って言っているのがわかります。なので当面語学の勉強は諦めることにしました。数週間やらなかったところで単位はくれるやろ、と。でもそのくらいです。正直このオンライン授業という制度の、体調が悪かろうが知らん❗️レポート出さないと不合格❗️みたいな風潮に、不条理さを感じてはいますが、(小中高生だったら学校に行かなくて良いので歓喜しているでしょうが)語学の勉強を除けば、日常生活に頭痛と倦怠感とそれによる不眠がプラスされた程度で普通に生きています。頭痛も、元々偏頭痛持ちなので慣れています。(?)強いて言うなら、冷めたおかゆとかき氷以外、喉を通らなくなってしまったくらいです。

 

これは本当に一体何なのでしょうか。多分コロ…ではないです。きっと、今までコロナを舐め腐り、マスク暑いからつけたくないわ〜とかルミネもカラオケも何でやってないんだよ、くだらね〜とか、そういう事を考えて生きてきたので、その報復なのかもしれません。コロナじゃないギリギリを攻めて、自粛緩和してきたタイミングで、コロナライズされた世間の中に放り込む、という神様の報復なのかもしれません。

世の中を舐めてはいけません。

いつか熱は下がるので、下がったらまた遊んでください。マスクしなくても変な目で見られない涼しい夏を楽しみにしています。

 

 

やっぱり大学が無理

 

そんなの分かりきっている話です。以前にもお話しした通り、私は大学に入った瞬間、授業を受けるのも、バイトをするのも、何もかもが人並みにできなくなってしまいました。結果、一年目で留年しました。

できなくなったというと怠慢じゃん甘えるなボケと言われるかもしれませんが、本当にその通りなのです。怠慢です。今日はその言い訳を、ツラツラと書きたいと思います。

 

 

私はこう見えて?めちゃくちゃ健康体です。風邪を引いた記憶もあまりないし、インフルエンザにかかったのも小学生?中学生?が最後です。この間血液検査をしましたが、こんな偏った食生活、アル中寸前、やめられないタバコ、という三拍子揃った終わっている生活習慣であるにも関わらず、身体はとても健康ですよと言われました。

 

ところが昨日の夜中、人狼ジャッジメントをやりながらなんか頭が熱いなあ、まさかなあ、と思って滅多に使わない体温計を脇に挟みながら、それでも人狼ジャッジメントをやっていました。ピピッと鳴って見てみると、エェ!?38度!?マジ!!??となりました。もう人狼ジャッジメントどころではありません。こんなご時世ですから、コロナかもしれない…!という焦りが頭をよぎり、とりあえずマスクをしてベッドに入りました。私は今までコロナを舐め腐った言動を繰り返し、昨日なんてマスクを付けないで外出していたものですから、これでコロナだったらマジで笑えないなあと若干焦りました。しかしその割に咳も出ないし、とりあえず飲んでみたヤクルトの味も匂いもいつも通りだし、特に体調が悪い…死ぬ…という感じでもなかったので、アッ、いつものアレだ、と気づきました。

いつものアレ、というのは、私は大学に入ってから毎年学年の初めに高熱を出し、そして、いつも寝て起きると大体下がってしまうのです。私は本当に健康体なので、正直高熱がある!という非日常感に心のどこかでテンションが上がり、朝起きたらアレッ、もう下がったのか…、とがっかりします。でも毎年毎年必ず学年の初めの時期に熱を出し、毎回同じような収束の仕方をするのです。病院に行くまでもないので、ネットで調べると、どうやらこの急に高熱が出て寝ると下がる、というのは心因性の発熱のようなのです。つまりはストレスで熱を出す体質のようなのです。なるほどだから毎年学年の初めにこうなるんだ、なるほど高校まではそんなのなかったのに大学に入った瞬間そんなのになるってことは心身共に大学というものを受け付けていないんだウケる、と妙に納得してしまいました。

で、今年は学年の初めよりは少し遅かったけれど、オンライン授業に伴い時速300キロで溜まっていく課題に追われていました。溜めていた私が悪いのですが、月末までに3000字のレポートを3つ書かなければならなかったり、明後日までの予習の量が膨大だったり、多分そういうストレスで発熱したのだと思われます。

それでまあ多分そういうことなんだろうなあと思いながら寝つき、朝目が覚めて体温を測ってみると、何とびっくり、あまり熱が下がっていませんでした。普段はヤッター❗️私って熱ある❗️親も優しい❗️学校行かなくてもいい❗️と思うところです。しかしながら今回ばかりは例の課題達に取り組まなければもう一留がすぐ目の前なので、なんとか熱を冷まそうと、氷枕に両脇に保冷剤の状態で寝てみたり、親が買ってきてくれたビタミンウォーター?みたいなのをガブガブ飲んでみたり、とにかく今日で熱を下げて明日からは活動しなければもう何もかもがまずいので色々試しつつ安静にしていました。そのお陰?でさっき熱を測ってみたら37.4度位に下がっていました。身体のしんどさも特になく、こんな文章を書けるほど元気になりました。

 

というわけで、私は今から明日のドイツ語の授業のために莫大な量の官能小説を和訳し、明日オンライン授業を受け、授業が終わったらレポートに取り組みます。めちゃくちゃやりたくありません。でもやりたくないやりたくないと思ってまた熱が上がってしまっても困るので、やります。

 

普段ならちょっと楽しい発熱イベントも、この特殊な状況だと焦りに変わり、何より熱があるなら大学に行かなくていいはずなのに、オンライン授業のせいでパソコンが大学になってしまったので、熱が出て授業受けられませんでした、なんてものは通用しなくなってしまいました。最悪です。

もう今回の件で十分わかりましたが私は本当に大学が無理なのです。親と喧嘩しても彼氏と別れても自殺に失敗しても熱も出ないのに、大学が絡むと発熱します。なんかもうちょっとウケます。本当に大学が嫌いなのです。いつ卒業できるのかも不明です。私が大学を卒業できるまで、一体あと何回熱を出すのでしょう。もうそんな事ばかり考えてしまうので、もうこの話はやめにします。大学の方角に中指でも立ててさっさとやる事を済まそうと思います。

 

 

音楽の端っこに触れて

 

数日前、ネイルが伸び切っていて、それなのにコロナのせいでネイルサロンはやっていないので、仕方なくドンキに売っていたジェルネイルオフキットでネイルを剥がし、ついでに指より5ミリ強ほど長かった爪も切りました。

 

爪を切ったらやってみたい事がありました。ギターです。ギターというのは、弦を指で押さえて演奏するので、従来のような長い爪では物理的に弦を押さえるのは不可能でした。そういうわけで、一年半以上前のサークルの合宿が終わった瞬間から今までずっとネイルをしていた私は、それから一度もギターを弾くことはなく、昔はステージの上で輝いていた私のエレキギターも、完全に廊下のオブジェと化していました。

そしてこれは一見関係のない話なのですが、その爪を切った日の夜、それはもう物凄い家族喧嘩をしてしまい、泣き叫んで声も枯れて精神的にも疲れて、お風呂にも入れず屍のようにベッドに横たわっていました。

 

そこでふと急に思い立ち、リフレッシュをするかのような気分で一年半ぶりに廊下に「飾られた」ギターを手に取ってみました。

 

恐る恐る何となく記憶にあったコードを幾つか押さえてみたら、意外と弾けたのです。少し練習したら、昔に比べればそりゃあ下手っぴですが、下手っぴなりに段々と感覚を取り戻してきました。身体が覚えてるってこういう事なんだなあと思いました。

楽器を演奏する、という感覚がとにかく久しぶりで、嬉しくて、楽しくて、ネットで色んな曲のコードを調べては弾いていました。ただ、ピックやチューナーもどこかへ行ってしまったので、適当にチューニングして一円玉で弾いていました。それでも楽しくて、朝まで色んな曲を弾いたり歌ったりしていました。一円玉で。

 

次の日にはピックも見つかり、一円玉は一日で卒業しました。ピックってこんなに弾きやすいんだ!と感動しました。

 

それでもギターソロとかピロピロしたりとかそういうのに挑戦する勇気はなかったので、好きな曲のコードを調べて弾いて、カラオケ気分で歌ったりもしました。側から見たらこれを弾き語りと呼ぶのかもしれませんが、私的には完全に「自給自足のカラオケ」気分です。コロナでカラオケも閉まってるし、丁度良い暇つぶしになりました。

カラオケは好きです。昔から普通に歌うことは好きだったけれど、バンドで演奏していて歌う、というようなことはあまりありませんでした。私は声量が乏しく、か細いような、やくしまるえつことBiSのイトー・ムセンシティ部を足して二で割ったような声をしている(ファンに怒られそう)ので、バンドにおけるボーカルとかそういうのには向いていないのです。なので、いわゆる弾き語り程度が丁度良いのだと思います。個人的にはカラオケのつもりなので、本職でもないくせに、上手くもないくせに歌うな弾き語りナメんなとか怒られても、本当にその通りです申し訳ございませんでしたと言うことしかできません。すみません。

 

そんなわけで、この数日は久しぶりにギターを鳴らしたり久しぶりに歌ったりして、小並感満載の感想ですが音楽って素敵だなと思いました。いや、勿論元々普通に音楽を聴いてこの曲いいナ〜とか思ったりはしていたのですが、何というか、自分で音楽を作るっていうか、別に曲を作っているわけでも何でもなくただ既存の曲をコピーしているだけなのですが、自分で音を鳴らしてそれが小さな音楽になっている、という感覚が久しぶりで楽しくて、なんだか幸せでした。

中学に入ってすぐ軽音楽部でバンドを組むようになり、そのまま高校を卒業して、大学でもバンドサークルに入り頻度は減りましたがバンドを続けていて、そこから一年半のブランクがあり、今に至ります。当たり前にバンドで演奏する環境にいた、つまりは自分で鳴らした音が音楽になっていた、そんな過去の環境が懐かしく、羨ましく思えました。もう一年半もブランクがあるので高校の頃みたいにギュンギュンピロピロしたりはできませんが、それでも今コードを弾いて歌っているだけでも楽しいです。音楽って、素晴らしいんですね、と身に染みて感じた数日間でした。私は飽きっぽい性格なので、いつまでこのマイブームが続くのかはわかりませんが、そんな事を思ったりしました。おしまい

 

 

 

 

死に損ないと添い寝してくれた犬

 

今日、三度目の自殺未遂をしました。

 

もう、なんだかずっと色々コソコソ隠していたのですが、全部どうでも良くなったというか、今更本当の事を話していなくなるような友達なんてどうでも良くなったというか、もう今更失うものなんてないし、そんなわけで、私は嫌な事は文章におこすとマシな気分になる性分なので、今日は今日あったことを全て正直に話そうと思います。

 

私は過去二回自殺未遂でピーポーしています。一度目の際、そのままほぼ強制的に精神病院の閉鎖病棟に入院させられました。まあその入院は絶望と隣り合わせでしたが、ある意味楽しかったし、主治医の先生にも恵まれて、一ヶ月程で退院しました。

退院して一ヶ月後、なんかあんまり覚えていないのですが二回目のピーポーをしました。その際も入院させられそうになりましたが、もう二度としない、薬は親が管理する、という条件で入院を免れました。

 

そういうわけで、それからのこの一年は二週間に一回入院した病院に通い、言われるがまま処方された薬を飲み、特にピーポー事案を起こしたりはしませんでした。双極性障害境界性人格障害か、或いはそれの併発か、との診断も貰いました。しかし前にもお話したかもしれませんが、私は慢性的な死にたい病、というか別にいつ死んでも構わないや、好きに殺してくれ、むしろコロナで命を落とす人と代わってあげたい、と思っている人間です。なので「頓服で処方された薬は自分で管理する!」と言って、その薬は全く飲まずに貯め続け、先日やっとやっと、百数十錠貯まりました。

そして、一週間ちょっとほど前から計画を練り始め、部屋の片付けや身辺整理をしていました。計画は簡単で、酒と薬を飲んでわけわからなくなったままドアノブで首を吊ろうというものでした。万が一失敗した時に、頓服の薬を貯め込んでいたのがバレたらもう頓服薬も自己管理できなくなってしまうと思って、前日に百数十錠の薬をパキパキ出して、小さな袋に入れて隠し、薬のゴミは公園のゴミ箱に捨てました。ODの証拠隠滅です。

 

そうして当日、親が寝静まった四時前でしょうか、計画を実行に移そうとしました。既にお酒は飲んでいて、話は逸れますが昔はスト缶500mlでベロベロだったのに、体質が変わったのか最近はそれでも満足に酔えず、飲みかけのスト缶を焼酎で割るみたいな最低な事をしていました、酔うために。酔っていないと眠れもせずやっていられなかったので。そういう訳で、夜八時頃にスト缶の350ml、夜中二時頃からダラダラ飲んで500mlを二本空けているような状態でした。そして、前もって固く結んだスカーフをドアノブにかけ、例の隠していた薬、マイスリー六十錠程度と後はレメロンやらビプレッソやらリチウムやらリボトリールやらメイラックスやらもうなんか必死にかき集めた薬たちを、酒で流しました。しかし、上手く飲み込めません。薬を飲んでる途中で気を失ったら意味がないと急ぎすぎたのかもしれません、それでも三、四回に分けてやっと全て飲み込みました。そうしてスカーフに首をかけました。ここから先はもう記憶が曖昧で、気づいたら無意識に吐き散らかして倒れていました。私が倒れた拍子に立てかけてあった鏡が倒れ、物音を聞いて駆けつけた母親に救急車を呼ばれました。多分吐き散らした時に薬の大半は出てしまったのでしょう、今までのピーポーは全く意識がなく目覚めたら病院で、次の日の夕方とかで、知らない間におしっこの管が挿さっていたりしたのですが、今回は意識が朦朧としていながらも、時折周囲の声が聞こえました。救急隊の人が来て、私の部屋中漁って、薬のゴミを探すのですが、公園に捨ててしまったので少ししか見つからず(それでも二十数錠分のゴミが見つかったらしい)、何錠飲んだの?と訊かれ、無意識に「ひゃく…じょう…」と答えました。しかし救急隊の人は私の意識が朦朧としているから信じなかったようで、二十数錠だけODして酒飲んで吐いただけの人のように処理されたのだと思います。そのためにわざわざ前日に薬のゴミを捨てて証拠隠滅したのに、なんだか悔しくて、朦朧とした意識の中でもなんだか悔しくて、「百錠飲んだ!ゴミは外に捨てた!」と多分これも片言で主張しましたが、どこまで信じてもらえたのかはわかりません。それから病院に搬送されるまで、意識はずっと朦朧としていて、「お名前わかりますか?」「(ムハンマド)…(ちゃん)…」「今日何日かわかりますか?」「…わかんない…」のくだりを十数回やったような気がします。

そうして薬を飲んでから四時間後の朝八時頃になるとだいぶ意識もはっきりしてきました。病院のお姉さんに今日は4月27日ですよと答え合わせもしてもらいました。母親の腕を借りれば歩けるようになり、タクシーで一旦家に帰りました。ただ、汚い話ですが、どうやら自分で吐き散らした池に倒れてしまい、右半身はゲロ漬けだったようです。服は知らない間に別の部屋着に着替えさせられていましたが、何より髪が臭くて、髪の右半分が臭くて臭くて、おしぼりで拭いても母親に洗面台で洗ってもらっても臭いが取れず、自殺に失敗してイライラしていた私は「死に損ないの臭いがする!」とキレ散らかしていましたが、さっき風呂に入って三回シャンプーしてやっと臭いが取れました。いい匂いのするヘアオイルをこれでもかと髪の右半分に塗って、死に損ないの臭いを消そうと頑張りました。

 

話は逸れましたが、搬送先の医者の指示で通院していた精神病院に行くよう言われていたので、帰って少し休んで、昼前にタクシーで病院に向かいました。

しかし、先程述べた入院した時からの主治医の先生は四月からアルコール病棟へ異動になってしまったので、初対面の医者とお話しすることになりました。その医者はこちらの話も大して聞かず、入院するのかしないのか早く決めろ、次の患者さんも待ってるんで早くしてみたいな言い方をされ、こっちは来いって言われたからタクシーで40分もかけて来たのに、と少しイラッとしましたが入院する方向で話がまとまり、次に入院中の主治医になる先生とお話ししました。結論から言うと、この医者は最悪でした。

一通りあったことを話したのだけど、なぜ自殺という行動に移すに至ったのかと訊かれたので、何て答えたかは忘れましたが思っていた事をそのまま言いました。すると、あなたの希死念慮は切迫しているので保護室に入れます、とか言い出しました。ハァ?私が保護室?あり得ない、という感じでした。知らない方はググってみてください。牢屋のような場所です。前に入院していた時に保護室に入っていたのは、本当に"ヤバい"人達だったので、自分がそういう扱いを受けたことにカッとなり、(身体に残っていた薬で躁転していたのかもしれませんが)医者と口論になりました。「普通の部屋だと自殺できてしまいますからね、されたこともありますし」「じゃあ入院しても家にいても変わらないですよね?」「あなたが同意しないなら、親御さんに同意をもらって強制入院させますよ、その方が入院中は不自由ですけど」「は?死にたい人間の自由を奪って無理矢理生かして、患者を薬漬けにして儲けて何が楽しいんですか?」・・・と、もう親も真後ろにいるのに泣きながらそんなやり取りをしていたので呆れられたのか、先生に、うちの治療方針と合わないならうちの治療を受けなくてもらわなくていいですとかなんとか言われたので、私もたまらず結構ですと一言、診察室から出ました。

 

帰りのタクシーで、精神科の医者ってめちゃくちゃ当たり外れがあるなあとぼんやり考えていました。私の前の主治医の先生は、入院したての頃こそ反抗しましたが、親身で、丁寧で、優しくて、異動になる最後の通院の時も悲しくて泣きそうになるほど大好きな先生でした。先生がアルコール病棟にいるなら、私も最近アル中寸前のところにいるのでもうそこに通いたいとすら思いました。 

 

家に帰り、二時か三時かで、吐き散らかした上に朝から何も食べていなかったのでお腹もペコペコで、母親が作ってくれたおにぎりを食べて、そしてリビングの横に敷いてもらった布団に倒れるように眠ってしまいました。途中何度か目が覚めましたが、気づくといつも隣でペットの犬が一緒に寝ていて、体勢を変えても私の横にきて寝ていて、親も不思議がるほど私が寝ている間ずっとそばで寝ていたようです。犬の第六感的なものでもあるのでしょうか、この人は死に損なっちゃったんだな、心配だな、大丈夫かな、と言われている気がして、まあそんなの私の思い上がりかもしれませんが、なんだか切なくなってしまって、言葉では表せないけど、つい、タイトルにしてしまいました。

 

とても長くなりました。長い一日でした。昨日の今頃は死ねるかなドキドキ、こうやって家族で話すのも犬を抱くのも最後かもしれないなアイスを食べるのも最後かもしれないなと少し感傷に浸っていましたが、そんな昨日の私をブン殴りたいです。自殺に失敗してしまったので。せっかくこの日の為に貯めた薬を全部無駄にしてしまい悔しい気持ちでいっぱいです。酒は程々にしておけば死ねたかも。薬の量を半分にしていたら吐かずに首を吊れていたかも。そんなしょうもない後悔が止まりません。所詮死に損ないなので、そんな事しか考えられません。

これから先どうやって生きていけばいいのかももうわかりません。でも死ぬつもりだったのにちゃっかり履修とかは組んであるので普通に生きていくのでしょう。でももう三回もドアノブで失敗しているので流石に次はもっとマシな確実に死ねるやり方にします。高いビルから飛び降りるとか。成田エクスプレスに飛び込むとか。でも私にはそんな大胆な、そんな怖いことをする勇気なんてありません。だからこうやって、ダラダラと、実質屍のようになって生きていくしかないのでしょう。所詮死に損ないです。信頼していた前の主治医に言われた言葉を思い出しました。「あなたは客観的に見たら華々しい人生です、それでも今あなたが辛いのは、どこかでボタンの掛け違いのような、些細なことの積み重ねなんですよ」、そう言っていました、私はボタンの掛け違いで死に損ないになってしまったようです。皆さんも、ボタンを掛け違えないように、私が偉そうに言える立場ではありませんが、どうかお気をつけて、生きてください