ムハンマドちゃん

お寿司がすきです

死に損ないと添い寝してくれた犬

 

今日、三度目の自殺未遂をしました。

 

もう、なんだかずっと色々コソコソ隠していたのですが、全部どうでも良くなったというか、今更本当の事を話していなくなるような友達なんてどうでも良くなったというか、もう今更失うものなんてないし、そんなわけで、私は嫌な事は文章におこすとマシな気分になる性分なので、今日は今日あったことを全て正直に話そうと思います。

 

私は過去二回自殺未遂でピーポーしています。一度目の際、そのままほぼ強制的に精神病院の閉鎖病棟に入院させられました。まあその入院は絶望と隣り合わせでしたが、ある意味楽しかったし、主治医の先生にも恵まれて、一ヶ月程で退院しました。

退院して一ヶ月後、なんかあんまり覚えていないのですが二回目のピーポーをしました。その際も入院させられそうになりましたが、もう二度としない、薬は親が管理する、という条件で入院を免れました。

 

そういうわけで、それからのこの一年は二週間に一回入院した病院に通い、言われるがまま処方された薬を飲み、特にピーポー事案を起こしたりはしませんでした。双極性障害境界性人格障害か、或いはそれの併発か、との診断も貰いました。しかし前にもお話したかもしれませんが、私は慢性的な死にたい病、というか別にいつ死んでも構わないや、好きに殺してくれ、むしろコロナで命を落とす人と代わってあげたい、と思っている人間です。なので「頓服で処方された薬は自分で管理する!」と言って、その薬は全く飲まずに貯め続け、先日やっとやっと、百数十錠貯まりました。

そして、一週間ちょっとほど前から計画を練り始め、部屋の片付けや身辺整理をしていました。計画は簡単で、酒と薬を飲んでわけわからなくなったままドアノブで首を吊ろうというものでした。万が一失敗した時に、頓服の薬を貯め込んでいたのがバレたらもう頓服薬も自己管理できなくなってしまうと思って、前日に百数十錠の薬をパキパキ出して、小さな袋に入れて隠し、薬のゴミは公園のゴミ箱に捨てました。ODの証拠隠滅です。

 

そうして当日、親が寝静まった四時前でしょうか、計画を実行に移そうとしました。既にお酒は飲んでいて、話は逸れますが昔はスト缶500mlでベロベロだったのに、体質が変わったのか最近はそれでも満足に酔えず、飲みかけのスト缶を焼酎で割るみたいな最低な事をしていました、酔うために。酔っていないと眠れもせずやっていられなかったので。そういう訳で、夜八時頃にスト缶の350ml、夜中二時頃からダラダラ飲んで500mlを二本空けているような状態でした。そして、前もって固く結んだスカーフをドアノブにかけ、例の隠していた薬、マイスリー六十錠程度と後はレメロンやらビプレッソやらリチウムやらリボトリールやらメイラックスやらもうなんか必死にかき集めた薬たちを、酒で流しました。しかし、上手く飲み込めません。薬を飲んでる途中で気を失ったら意味がないと急ぎすぎたのかもしれません、それでも三、四回に分けてやっと全て飲み込みました。そうしてスカーフに首をかけました。ここから先はもう記憶が曖昧で、気づいたら無意識に吐き散らかして倒れていました。私が倒れた拍子に立てかけてあった鏡が倒れ、物音を聞いて駆けつけた母親に救急車を呼ばれました。多分吐き散らした時に薬の大半は出てしまったのでしょう、今までのピーポーは全く意識がなく目覚めたら病院で、次の日の夕方とかで、知らない間におしっこの管が挿さっていたりしたのですが、今回は意識が朦朧としていながらも、時折周囲の声が聞こえました。救急隊の人が来て、私の部屋中漁って、薬のゴミを探すのですが、公園に捨ててしまったので少ししか見つからず(それでも二十数錠分のゴミが見つかったらしい)、何錠飲んだの?と訊かれ、無意識に「ひゃく…じょう…」と答えました。しかし救急隊の人は私の意識が朦朧としているから信じなかったようで、二十数錠だけODして酒飲んで吐いただけの人のように処理されたのだと思います。そのためにわざわざ前日に薬のゴミを捨てて証拠隠滅したのに、なんだか悔しくて、朦朧とした意識の中でもなんだか悔しくて、「百錠飲んだ!ゴミは外に捨てた!」と多分これも片言で主張しましたが、どこまで信じてもらえたのかはわかりません。それから病院に搬送されるまで、意識はずっと朦朧としていて、「お名前わかりますか?」「(ムハンマド)…(ちゃん)…」「今日何日かわかりますか?」「…わかんない…」のくだりを十数回やったような気がします。

そうして薬を飲んでから四時間後の朝八時頃になるとだいぶ意識もはっきりしてきました。病院のお姉さんに今日は4月27日ですよと答え合わせもしてもらいました。母親の腕を借りれば歩けるようになり、タクシーで一旦家に帰りました。ただ、汚い話ですが、どうやら自分で吐き散らした池に倒れてしまい、右半身はゲロ漬けだったようです。服は知らない間に別の部屋着に着替えさせられていましたが、何より髪が臭くて、髪の右半分が臭くて臭くて、おしぼりで拭いても母親に洗面台で洗ってもらっても臭いが取れず、自殺に失敗してイライラしていた私は「死に損ないの臭いがする!」とキレ散らかしていましたが、さっき風呂に入って三回シャンプーしてやっと臭いが取れました。いい匂いのするヘアオイルをこれでもかと髪の右半分に塗って、死に損ないの臭いを消そうと頑張りました。

 

話は逸れましたが、搬送先の医者の指示で通院していた精神病院に行くよう言われていたので、帰って少し休んで、昼前にタクシーで病院に向かいました。

しかし、先程述べた入院した時からの主治医の先生は四月からアルコール病棟へ異動になってしまったので、初対面の医者とお話しすることになりました。その医者はこちらの話も大して聞かず、入院するのかしないのか早く決めろ、次の患者さんも待ってるんで早くしてみたいな言い方をされ、こっちは来いって言われたからタクシーで40分もかけて来たのに、と少しイラッとしましたが入院する方向で話がまとまり、次に入院中の主治医になる先生とお話ししました。結論から言うと、この医者は最悪でした。

一通りあったことを話したのだけど、なぜ自殺という行動に移すに至ったのかと訊かれたので、何て答えたかは忘れましたが思っていた事をそのまま言いました。すると、あなたの希死念慮は切迫しているので保護室に入れます、とか言い出しました。ハァ?私が保護室?あり得ない、という感じでした。知らない方はググってみてください。牢屋のような場所です。前に入院していた時に保護室に入っていたのは、本当に"ヤバい"人達だったので、自分がそういう扱いを受けたことにカッとなり、(身体に残っていた薬で躁転していたのかもしれませんが)医者と口論になりました。「普通の部屋だと自殺できてしまいますからね、されたこともありますし」「じゃあ入院しても家にいても変わらないですよね?」「あなたが同意しないなら、親御さんに同意をもらって強制入院させますよ、その方が入院中は不自由ですけど」「は?死にたい人間の自由を奪って無理矢理生かして、患者を薬漬けにして儲けて何が楽しいんですか?」・・・と、もう親も真後ろにいるのに泣きながらそんなやり取りをしていたので呆れられたのか、先生に、うちの治療方針と合わないならうちの治療を受けなくてもらわなくていいですとかなんとか言われたので、私もたまらず結構ですと一言、診察室から出ました。

 

帰りのタクシーで、精神科の医者ってめちゃくちゃ当たり外れがあるなあとぼんやり考えていました。私の前の主治医の先生は、入院したての頃こそ反抗しましたが、親身で、丁寧で、優しくて、異動になる最後の通院の時も悲しくて泣きそうになるほど大好きな先生でした。先生がアルコール病棟にいるなら、私も最近アル中寸前のところにいるのでもうそこに通いたいとすら思いました。 

 

家に帰り、二時か三時かで、吐き散らかした上に朝から何も食べていなかったのでお腹もペコペコで、母親が作ってくれたおにぎりを食べて、そしてリビングの横に敷いてもらった布団に倒れるように眠ってしまいました。途中何度か目が覚めましたが、気づくといつも隣でペットの犬が一緒に寝ていて、体勢を変えても私の横にきて寝ていて、親も不思議がるほど私が寝ている間ずっとそばで寝ていたようです。犬の第六感的なものでもあるのでしょうか、この人は死に損なっちゃったんだな、心配だな、大丈夫かな、と言われている気がして、まあそんなの私の思い上がりかもしれませんが、なんだか切なくなってしまって、言葉では表せないけど、つい、タイトルにしてしまいました。

 

とても長くなりました。長い一日でした。昨日の今頃は死ねるかなドキドキ、こうやって家族で話すのも犬を抱くのも最後かもしれないなアイスを食べるのも最後かもしれないなと少し感傷に浸っていましたが、そんな昨日の私をブン殴りたいです。自殺に失敗してしまったので。せっかくこの日の為に貯めた薬を全部無駄にしてしまい悔しい気持ちでいっぱいです。酒は程々にしておけば死ねたかも。薬の量を半分にしていたら吐かずに首を吊れていたかも。そんなしょうもない後悔が止まりません。所詮死に損ないなので、そんな事しか考えられません。

これから先どうやって生きていけばいいのかももうわかりません。でも死ぬつもりだったのにちゃっかり履修とかは組んであるので普通に生きていくのでしょう。でももう三回もドアノブで失敗しているので流石に次はもっとマシな確実に死ねるやり方にします。高いビルから飛び降りるとか。成田エクスプレスに飛び込むとか。でも私にはそんな大胆な、そんな怖いことをする勇気なんてありません。だからこうやって、ダラダラと、実質屍のようになって生きていくしかないのでしょう。所詮死に損ないです。信頼していた前の主治医に言われた言葉を思い出しました。「あなたは客観的に見たら華々しい人生です、それでも今あなたが辛いのは、どこかでボタンの掛け違いのような、些細なことの積み重ねなんですよ」、そう言っていました、私はボタンの掛け違いで死に損ないになってしまったようです。皆さんも、ボタンを掛け違えないように、私が偉そうに言える立場ではありませんが、どうかお気をつけて、生きてください