ムハンマドちゃん

お寿司がすきです

散歩と親の期待

 

今日は久しぶりに、お化粧をして家に出ました。

こんな世の中になってから夜にすっぴんマスクで出かけることしかなかったのだけど、なんとびっくり、お化粧するとこんなに気分が上がるんだね

お化粧すると、なんか自分が女の子になれるというか、女の子の自覚が芽生えるっていうか、魔法みたいな、普通のJKがプリキュアに変身する最下位互換のようなものです、そんな割とルンルンな気持ちで新宿をお散歩しました。ルミネや伊勢丹は勿論やっていないのだけれど、この街に住んで約十年、新宿の景色を見るとなんだか心がホッとします。

そんなお散歩ルートだけれど、ポエマーのように当たり前のことを当たり前に言うと、今の一瞬は今しかなかったわけなので、そんな今日の新宿ももう二度と見ることはないなとしっかりと目に焼き付けてきました。

 

 

まあそんな事も考えながらボーッとお散歩していて、旅行会社のポスターを見かけて、ああ今年はコロナで家族旅行も行けないだろうなーって、気づけば親の事を考えていました。

 

 

私は一人娘で、小さな頃から大事に大事に不自由なく育てられてきました。さっきポスターを見て思ったように、気づいた頃から毎年夏には家族で海外旅行をするのが行事のようになっていました。それと同時に、私の親は教育熱心でもありました。平仮名や漢字も周りの子よりも早く書けたり、幼稚園でも何かと褒められたり、親の私への期待は多分そうやって高まり、英会話やピアノなどの習い事もさせてもらいました。

そして小学校に入り、いきなり学習塾に通い始めました。当時の私は勉強が嫌とか、塾が嫌とかそういう概念自体がなく、楽しんで通っていました。それが鬼の受験コースの始まりだと知らずに。そのお陰で、小学校ではいわゆる「できる子」だったのだと思います。学校のテストも百点以外は許されませんでした。習っていたピアノも、教室の中の同じ学年の中では一番上手だったようでした。多分、私は何でも"それなりに"できる器用な子供だったのでしょう。

そうして六年間塾に通い続け、中学受験をし、第一志望には受かりませんでしたがそこそこの中高一貫校に合格し、六年間特に問題なく通いました。中二でエレキギターを始めた時には、初めが肝心だからとヤマハのギター教室にも通わせてくれました。そのおかげもあり、まあすぐにそれなりにギターも弾けるようになり、親も文化祭の演奏を観て満足しているようでしたし、高二の時に都大会に出て賞なんかもらった時には親もとても喜んでいました。

大学受験も、第一志望には受かりませんでしたがそこそこの大学に合格し、私はなんで毎回毎回第一志望に落ちるんだと悲しみましたが、親はとても喜んでくれたようでした。

 

ここまでが、私の「できる子」としての人生でした。親が期待する、期待通りの私でした。

 

大学に入った私は、燃え尽き症候群なのか何なのか、今まで頑張ってきたこと全部、勉強も、ギターも、できなくなってしまいました。自分でもどうしてこんなに急に何もできなくなってしまったのかわかりません。結果留年しました、当然です。父親とは大学の事務的な話をしたりしますが、母親とは大学の話なんてできません。留年のりの字も会話の中で出てきたことはありません。どんなに落胆されているか怖くて、触れられません。

挙げ句の果てには入院騒ぎ、もう親に合わせる顔などありませんでした。今も、親は私の通院代を出してくれるだけで、その内容には全く触れません。毎晩父親にその日の薬をもらうのも無言で、気まずいです。きっと今の私は親が想定していた私ではないのでしょう。今の私はどこからどう見ても「できる子」ではありません、むしろ世間的には人生ドロップアウトの落ちこぼれ組でしょう。

申し訳ないと思います、親に。死ぬほど親不孝だと思います。大金を注ぎ込んで育てた娘が、こんなのになってしまったのですから。一年と少し前の入院中、思い立って文学部への編入試験を受けるために勉強しようと思い、参考書も買ってもらい、退院後の自習室の契約までしてもらいました。決して安い値段ではありませんでしたが、親は躊躇わずそのお金を出してくれました。ところが編入試験へのやる気はある日突然消え、借りた自習室に通うこともほとんどありませんでした。親から投資してもらった金をドブに捨ててしまうような最低な娘です。もう、罪悪感なんて言葉では収まりません。

それなのに、そんな最低な娘なのに、母親は買い物でスーパーへ行くと私が好きなお菓子を買ってきてくれます。私が喜ぶと思って、少しでも元気になると思ってくれているのだとしたら、私はそれが有難くて有難くて、そんなことを考えてやるような大した娘でもないのに、今の私は親の期待に何一つ応えられなくて、喜ばせることもできず、散歩しながら、そう、散歩していました、散歩しながら泣きそうになってしまいました。そうして、コンビニで親が食べたいと言っていたクリームブリュレを見つけたので買って帰りました。今の私にはそれくらいしかできません。ごめんね、