ムハンマドちゃん

お寿司がすきです

アルバイトアレルギー

 

生きていて嫌いなもの、苦手なことって沢山あると思います。皆さんは何が嫌いで何が苦手ですか?私が三つずつ挙げるとするならば、嫌いなものは茄子、日本酒、ハイブランドの服を着て大学の喫煙所にたむろする大学生、そして苦手なことはアラームで起きること、満員電車、スタンディングライブの開場から開演までの立ちっぱなしの時間です。

「嫌い」と「苦手」の差とは何でしょうか。私の基準は、「嫌い」は考えるだけで気持ちが悪くなるくらい生理的に無理なもの、「苦手」はできるだけ避けたいけれども避けられずに苦痛を強いられながらやっとの思いでギリギリ耐えることができること、というものです。

 

 

前置きが長くなりましたが、なんだか今日は新しい吹き出物ができて嫌な気分なので、「嫌い」「苦手」それ以上の私にとって本当に究極的に無理なもの、アルバイトのことを話すことにしました。

そんな大袈裟な、と思われるかもしれませんが私は本当にバイトができません。大学も嫌いなことの一つですが、今年はなんとか通うことができました。しかしバイトはできませんでした。

イキリハイブランド大学生達と茄子を食いながら日本酒を飲む会をするのと、明日朝からバイトで一万円貰えるのとどちらかを選ばなければならないとしたら、私は迷わず前者を選びます。そのくらいアルバイトは私にとって無理なことなのです。もはやアレルギーです。

 

今やこんな立派なニートである私ですが、実は普通のアルバイトをしていた時期もありました。

 

大学に入学し「大学生はバイトをするものだ!」という固定観念にとらわれていた私は、なんとな〜くの軽い気持ちで近所のチェーンカフェでバイトを始めました。バイトに関してあまりに無知だったために、客が少なくて楽そうな店舗にすればよかったものを、私が働き始めた店舗は新入社員が手始めに修行させられるような屈指の繁忙店でした。慣れない手つきでコーヒーを注ぎ、灰皿を洗い、両手いっぱいに食器を持って階段を上り下りしては大量のコップを割っていました。バイト自体が初めてだった私は要領が悪くていつも店長に怒られて、できないことがストレスで、ミスをするのが怖くて、かと言って早々辞めることもできず、バイトの前日の夜は寝るのも憂鬱で既に暗雲が立ち込めていました。それでも週三回くらいでバイトへ向かっていたと思います。

 

一方大学では、中高ずっとバンドやってたしナという安定志向でバンドサークルに入りました。今やほとんど顔を出していませんが、一年生の秋頃まではまあまあバンドを組んだりして楽しんでいました。

 

同時に、何故か医学部の陸上部のマネージャーになってしまいました。当時の私は大学新歓期間のワイワイしたムードで既に若干鬱になっており(そもそも大学の入学式の行きの電車で泣いていたほど、自分で受験したくせに、自分の大学に圧倒的嫌悪を感じていた)、こんなチャラチャラワイワイしてちゃダメだ、もっと大学生としての時間を有意義に使わなければという意識高い系の気持ち悪い思考、いわゆる四月病に囚われていました。その結果見つけたのが医学部陸上部のマネージャー。マネージャーなんて響きは女子校出身の私にとって新鮮でなんだか充実感たっぷりですし、母親にも「医学部の彼氏でも作ればいいじゃない」などと言われて確かにそれもありかナアなどという気持ちの悪い思考のまま、面接を兼ねた練習への参加、志望動機の作文などを書いて幸か不幸か選抜されてしまい、入部することになってしまったのです。

しかしながらこれは大間違いでした。体育会系など引きこもり気質の私の肌に合うはずがなく、無論彼氏作りをする心の余裕などありません。そしてマネージャーという素敵な肩書きの実態はもはやお給料がもらえない「バイト」でした。週二回午後5時前〜9時過ぎまでの練習が苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。大会の遠征で長野へ二、三泊した際にはもう辛くて辛くて、夜な夜な(結局別のところで見つけた)彼氏に泣きながら電話をしていました。もう無理だ、私が居ても士気が下がって迷惑だし、辞めようと思って部長にメールを送りましたが、部長とマネージャー長と新入生の私の三人で話し合いが設けられ、結局辞めさせてもらうことはできませんでした。

その後、陸上部内では私が一度辞めたいと言ったことが部員中に伝わってしまったようで、何かあった?嫌なことあったら言ってね?などと善意で気を遣われてしまったことで逆に居心地がさらに悪くなってしまいました。(どうでもいい話ですが毎年新入生のマネージャーに手を出すので有名な男の先輩がいて、その先輩から何度も遊びに誘われては断っていたらある日突然キレられたことがあり、周りの人達はそれのせいだと噂立てていたようでしたが、そんな下らない事があってもなくてももうマネージャーの仕事自体が無理だったので、善意で心配してくれる人達に対して微妙な反応をしてしまっていました。今となっては本当に申し訳ない話です)

 

 

そんなこんなで大学に入ってから夏休みまでの間は、単位が取れる程度には大学へ行き、サークルでもバンドを掛け持ったり、週二で陸上マネージャー、週三でバイトという今では考えられないほど超多忙な日々を過ごしていたのです。辞められないからやるしかないと思い込んで、毎日毎日ストレスを積み重ねていたのです。これを普通にこなせる人なんて山ほどいると思いますが、それでも今考えると私にとっては完全にキャパオーバーだったのです。

 

何かが壊れてしまった気がしました。

 

夏休みに入り、もう何もかもが嫌になって、迷惑や後先などもう考えられなくなって、陸上部をバックれてしまいました。ライングループも全て勝手に退会し、完全に連絡を絶ってしまいました。

そうして同じくらいの時期に、バイトももう辞めますと一言、勝手に辞めてしまいました。

 

こうして多忙極まりないマックスストレスな環境が、一瞬にして無に帰したのです。ああ、こんな簡単に辞められたんだって。その時は開放感に包まれていましたが、第二の地獄の始まりでした。

 

そのあと、新しいバイトを探そうと色々応募してみたのですが、面接まで行って辞めたり、初出勤日にやっぱり辞めますと言ってしまったり、どうしてもバイトをするのが怖くなってしまったのです。「バイト=苦痛」という意識が、カフェバイトやマネージャーの経験で埋め込まれてしまったように思います。一旦苦痛から解放されてしまうと、もう一度苦痛を始めるのはこんなにも難しいことだったなんて知りませんでした。あの苦痛のダブルパンチが、完全にトラウマになっていたのです。

 

それでも、バイトをしないとお金がありません。定職に就くのを諦め、日雇いや一週間程度の単発バイトにシフトしました。アパレルで客に服を薦めたり、自販機に在庫を補充したり、デパ地下でマカロンを売ったり、色々やりましたが、それが一日だけであろうと一週間であろうと、前日の夜は憂鬱を超えて死にたくて死にたくて、今死ねば明日バイトに行かなくて済むとか本気で考えたりします。それほどバイトが嫌なのです。明日行けばいくら稼げるとか考える暇もないほどただひたすら怖いのです。バイト中も何の業種にせよ「今バイトをしている」という事実が耐え難く無理で、五分ごとに時計を見ては絶望します。死んだほうがマシと本気で思えるほどバイトが無理なのです。

 

それに普通のバイトは大抵一時間働いて千円、良くて千二、三百円かと思います。一時間、死にたいほど辛い思いをして稼いだお金も、ご飯行こ〜みたいな人付き合いをしただけで一瞬で消えてしまいます、というかもはや足りません。死にそうな思いで稼いだ金は驚くほど一瞬で消え、それにまた絶望します。これも私のバイト嫌いの一欠片を成していると思います。

では、高時給で拘束時間が短いバイト、いわゆるバーニラバニラで高収入的なバイトはどうでしょうか。とにかくバイト中の時間の進みが時空が歪んでいるほど遅く遅く感じる私にとってはピッタリかと思って、試したことはありますが、そのようなバイトにもやはり「出勤」という高いハードルがありました。出勤する前の夜、というかその日の朝からはずっと例の如く死にたくて死にたくて怖くて怖くてたまらず、結局続けるのは無理でした。さらなる高収入を目指して風俗やそこらに片足突っ込む勇気もヘタレの私にはありません。

 

私の周りにバイトができていない友達はいません。本当に凄いと思います。友達に絞らなくても、少なくとも私が知る中で「バイトができない、怖い」と言っている大学生なんか見たことがありません。私と同じく大学に行くのが苦手な人でも、大学には行けないけどバイトはできるみたいな人が大半です。

 

周りからは「いや好きでバイトしてるわけじゃないし、バイトするのも大変だけど我慢してやってるだけなんだよ、バイトができないことに対して被害者面するな」と叩かれることでしょう。本当にその通りだと思います。私は大半の大学生が我慢できることが我慢できないのです。本当に最低な人間だと思います。バイトをしたくない怠惰を過去のトラウマ(しかも自分勝手に辞めた)のせいにしている卑怯で愚かで弱い人間です。

 

アルバイトアレルギーとかいうタイトルもちゃんちゃらおかしい、そばアレルギーや花粉症の方々に失礼極まりない、現実から逃げたいだけの私の造語です。以上です