ムハンマドちゃん

お寿司がすきです

アルバイトアレルギー

 

生きていて嫌いなもの、苦手なことって沢山あると思います。皆さんは何が嫌いで何が苦手ですか?私が三つずつ挙げるとするならば、嫌いなものは茄子、日本酒、ハイブランドの服を着て大学の喫煙所にたむろする大学生、そして苦手なことはアラームで起きること、満員電車、スタンディングライブの開場から開演までの立ちっぱなしの時間です。

「嫌い」と「苦手」の差とは何でしょうか。私の基準は、「嫌い」は考えるだけで気持ちが悪くなるくらい生理的に無理なもの、「苦手」はできるだけ避けたいけれども避けられずに苦痛を強いられながらやっとの思いでギリギリ耐えることができること、というものです。

 

 

前置きが長くなりましたが、なんだか今日は新しい吹き出物ができて嫌な気分なので、「嫌い」「苦手」それ以上の私にとって本当に究極的に無理なもの、アルバイトのことを話すことにしました。

そんな大袈裟な、と思われるかもしれませんが私は本当にバイトができません。大学も嫌いなことの一つですが、今年はなんとか通うことができました。しかしバイトはできませんでした。

イキリハイブランド大学生達と茄子を食いながら日本酒を飲む会をするのと、明日朝からバイトで一万円貰えるのとどちらかを選ばなければならないとしたら、私は迷わず前者を選びます。そのくらいアルバイトは私にとって無理なことなのです。もはやアレルギーです。

 

今やこんな立派なニートである私ですが、実は普通のアルバイトをしていた時期もありました。

 

大学に入学し「大学生はバイトをするものだ!」という固定観念にとらわれていた私は、なんとな〜くの軽い気持ちで近所のチェーンカフェでバイトを始めました。バイトに関してあまりに無知だったために、客が少なくて楽そうな店舗にすればよかったものを、私が働き始めた店舗は新入社員が手始めに修行させられるような屈指の繁忙店でした。慣れない手つきでコーヒーを注ぎ、灰皿を洗い、両手いっぱいに食器を持って階段を上り下りしては大量のコップを割っていました。バイト自体が初めてだった私は要領が悪くていつも店長に怒られて、できないことがストレスで、ミスをするのが怖くて、かと言って早々辞めることもできず、バイトの前日の夜は寝るのも憂鬱で既に暗雲が立ち込めていました。それでも週三回くらいでバイトへ向かっていたと思います。

 

一方大学では、中高ずっとバンドやってたしナという安定志向でバンドサークルに入りました。今やほとんど顔を出していませんが、一年生の秋頃まではまあまあバンドを組んだりして楽しんでいました。

 

同時に、何故か医学部の陸上部のマネージャーになってしまいました。当時の私は大学新歓期間のワイワイしたムードで既に若干鬱になっており(そもそも大学の入学式の行きの電車で泣いていたほど、自分で受験したくせに、自分の大学に圧倒的嫌悪を感じていた)、こんなチャラチャラワイワイしてちゃダメだ、もっと大学生としての時間を有意義に使わなければという意識高い系の気持ち悪い思考、いわゆる四月病に囚われていました。その結果見つけたのが医学部陸上部のマネージャー。マネージャーなんて響きは女子校出身の私にとって新鮮でなんだか充実感たっぷりですし、母親にも「医学部の彼氏でも作ればいいじゃない」などと言われて確かにそれもありかナアなどという気持ちの悪い思考のまま、面接を兼ねた練習への参加、志望動機の作文などを書いて幸か不幸か選抜されてしまい、入部することになってしまったのです。

しかしながらこれは大間違いでした。体育会系など引きこもり気質の私の肌に合うはずがなく、無論彼氏作りをする心の余裕などありません。そしてマネージャーという素敵な肩書きの実態はもはやお給料がもらえない「バイト」でした。週二回午後5時前〜9時過ぎまでの練習が苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。大会の遠征で長野へ二、三泊した際にはもう辛くて辛くて、夜な夜な(結局別のところで見つけた)彼氏に泣きながら電話をしていました。もう無理だ、私が居ても士気が下がって迷惑だし、辞めようと思って部長にメールを送りましたが、部長とマネージャー長と新入生の私の三人で話し合いが設けられ、結局辞めさせてもらうことはできませんでした。

その後、陸上部内では私が一度辞めたいと言ったことが部員中に伝わってしまったようで、何かあった?嫌なことあったら言ってね?などと善意で気を遣われてしまったことで逆に居心地がさらに悪くなってしまいました。(どうでもいい話ですが毎年新入生のマネージャーに手を出すので有名な男の先輩がいて、その先輩から何度も遊びに誘われては断っていたらある日突然キレられたことがあり、周りの人達はそれのせいだと噂立てていたようでしたが、そんな下らない事があってもなくてももうマネージャーの仕事自体が無理だったので、善意で心配してくれる人達に対して微妙な反応をしてしまっていました。今となっては本当に申し訳ない話です)

 

 

そんなこんなで大学に入ってから夏休みまでの間は、単位が取れる程度には大学へ行き、サークルでもバンドを掛け持ったり、週二で陸上マネージャー、週三でバイトという今では考えられないほど超多忙な日々を過ごしていたのです。辞められないからやるしかないと思い込んで、毎日毎日ストレスを積み重ねていたのです。これを普通にこなせる人なんて山ほどいると思いますが、それでも今考えると私にとっては完全にキャパオーバーだったのです。

 

何かが壊れてしまった気がしました。

 

夏休みに入り、もう何もかもが嫌になって、迷惑や後先などもう考えられなくなって、陸上部をバックれてしまいました。ライングループも全て勝手に退会し、完全に連絡を絶ってしまいました。

そうして同じくらいの時期に、バイトももう辞めますと一言、勝手に辞めてしまいました。

 

こうして多忙極まりないマックスストレスな環境が、一瞬にして無に帰したのです。ああ、こんな簡単に辞められたんだって。その時は開放感に包まれていましたが、第二の地獄の始まりでした。

 

そのあと、新しいバイトを探そうと色々応募してみたのですが、面接まで行って辞めたり、初出勤日にやっぱり辞めますと言ってしまったり、どうしてもバイトをするのが怖くなってしまったのです。「バイト=苦痛」という意識が、カフェバイトやマネージャーの経験で埋め込まれてしまったように思います。一旦苦痛から解放されてしまうと、もう一度苦痛を始めるのはこんなにも難しいことだったなんて知りませんでした。あの苦痛のダブルパンチが、完全にトラウマになっていたのです。

 

それでも、バイトをしないとお金がありません。定職に就くのを諦め、日雇いや一週間程度の単発バイトにシフトしました。アパレルで客に服を薦めたり、自販機に在庫を補充したり、デパ地下でマカロンを売ったり、色々やりましたが、それが一日だけであろうと一週間であろうと、前日の夜は憂鬱を超えて死にたくて死にたくて、今死ねば明日バイトに行かなくて済むとか本気で考えたりします。それほどバイトが嫌なのです。明日行けばいくら稼げるとか考える暇もないほどただひたすら怖いのです。バイト中も何の業種にせよ「今バイトをしている」という事実が耐え難く無理で、五分ごとに時計を見ては絶望します。死んだほうがマシと本気で思えるほどバイトが無理なのです。

 

それに普通のバイトは大抵一時間働いて千円、良くて千二、三百円かと思います。一時間、死にたいほど辛い思いをして稼いだお金も、ご飯行こ〜みたいな人付き合いをしただけで一瞬で消えてしまいます、というかもはや足りません。死にそうな思いで稼いだ金は驚くほど一瞬で消え、それにまた絶望します。これも私のバイト嫌いの一欠片を成していると思います。

では、高時給で拘束時間が短いバイト、いわゆるバーニラバニラで高収入的なバイトはどうでしょうか。とにかくバイト中の時間の進みが時空が歪んでいるほど遅く遅く感じる私にとってはピッタリかと思って、試したことはありますが、そのようなバイトにもやはり「出勤」という高いハードルがありました。出勤する前の夜、というかその日の朝からはずっと例の如く死にたくて死にたくて怖くて怖くてたまらず、結局続けるのは無理でした。さらなる高収入を目指して風俗やそこらに片足突っ込む勇気もヘタレの私にはありません。

 

私の周りにバイトができていない友達はいません。本当に凄いと思います。友達に絞らなくても、少なくとも私が知る中で「バイトができない、怖い」と言っている大学生なんか見たことがありません。私と同じく大学に行くのが苦手な人でも、大学には行けないけどバイトはできるみたいな人が大半です。

 

周りからは「いや好きでバイトしてるわけじゃないし、バイトするのも大変だけど我慢してやってるだけなんだよ、バイトができないことに対して被害者面するな」と叩かれることでしょう。本当にその通りだと思います。私は大半の大学生が我慢できることが我慢できないのです。本当に最低な人間だと思います。バイトをしたくない怠惰を過去のトラウマ(しかも自分勝手に辞めた)のせいにしている卑怯で愚かで弱い人間です。

 

アルバイトアレルギーとかいうタイトルもちゃんちゃらおかしい、そばアレルギーや花粉症の方々に失礼極まりない、現実から逃げたいだけの私の造語です。以上です

 

 

 

桜も咲いて春めいて

 

今日、朝起きて支度をして出掛けたら、家の近くの桜が咲いていた。空気が暖かくて、ヒートテックもコートもいらない。今年もすっかり春になってしまった。

そんな春の陽気に浮かれたままネイルサロンへ行き、冬の間は黒とか濃い赤とかそんな色ばかりを塗ってもらっていたのだけれど、今日はなんだかそうじゃないな〜と思ってブルーとグレーが混ざったような淡い色味にしてもらった。

 

去年の今頃はどうだったかなあと思い返すが、だいぶ人生オワ‼️という感じだった。というのも去年は秋学期0単位で無論「原級」の成績表が家に届き、一番好きなアイドルグループも突然解散し、状況的にも精神的にもオワ‼️であった。

それに比べたら今年はだいぶ元気なのかもしれない。届いた成績表は「進級」だったし、解散したグループの推しも新しいグループで元気に活動しているし、さらには子犬が新しい家族になって半年が経った。嫌なことといえば連日のコロナ騒ぎ、もうすぐ終わる春休み、タバコによる肌荒れくらいだ。(「バイト」「就活」は考えるのも文字列を見るのも血反吐が出そうなほど無理なので、私の世界では存在しないことになっている)

 

ここ一週間くらい、最近始めたことがある。この間、ロフトで偶然クリームソーダ柄のかわいいロルバーンを見つけて衝動買いしてしまい、果たしてこのノートを何に使おうかと考えあぐねていたのだが、どうやらバレットジャーナルというものが流行っているらしい。

バレットジャーナルというのは、ノートとボールペン一本で始められる、いわゆる自分ライクにカスタマイズされた手作りの手帳のようなもの。三日坊主だし、絵とか絶望的に上手くないし、私にできるかな・・・と思いつつ、見よう見まねで初めてみたら意外とこれが楽しかった。絵を描くのも、色鉛筆を使うのも、思えば入院していたとき暇が極まって塗り絵にハマっていたぶりだった。

バレットジャーナルのハウツーサイト曰く、その日やるべき事を箇条書きにしたり、今月の目標を立てたりして日々を充実させていこう!というコンセプトらしいが、私は目標とか自分磨きとかそういうのとは無縁な人生なので、その日あったことやちょっと嬉しかったことを日記代わりに書いたり、観た映画や読んだ本を記録するのに使っていくことにした。

最初は色々やってみようということで、日記のページの端っこにその日着た服とどんな色のメイクをしたかをちょちょっと書いてみた。まだ一週間しか経っていないのだが、これが意外に良い。私、同じ色の服の組み合わせしかしてなくない!?とか、もう春なのにテラコッタ使いすぎじゃない!?お前はいつまで秋モードなんだ!?とか、朝ギリギリに起きて何も考えず急いで支度する私にとっては新しい発見が沢山あった。これが自分磨きへの第一歩ってやつなのかな、ウゥッ

そして、毎晩ノートを開いて今日のページに色々書いていると、今まで大好きだった「丸一日布団に引きこもる日」があれなんとまあ、無駄に思えてくるのだ。私は(いや休息の日は大事、無駄じゃない、私に必要)と自分に言い聞かせるんだけど、ノートは(ほら、書くことなくない?他の日の私はあんな体験やこんな新しいことに出会ってるよ)と訴えかけてくる。困ったな。やっぱり出掛けた方がいいのかな。確かに、もう春めいて外も暖かいし、引きこもりも卒業しようかな。でも出かけて何するんだ?何をするにもお金がかかる。お金がかかるっていうことは、、、、、、、、バイトだ。最悪。

 

 

 

失恋純真カルト映画ミッドサマー

 

公開された時から話題になっていて、カルトホラー映画と知ってからずっと観たくてたまらなかった『ミッドサマー』。先に観た友人は「あんまりよくわからなかった」「途中で寝た」などと言っていたので、大して期待もしておらず、さらにチケットを買う時に「2時間半もあるのぉ〜〜!?!!?」と若干退屈にならないかという不安もありながら、先日ようやく観に行った。

 

 

結論から言うと、ここ最近観た映画の中で一番素晴らしく良かったのです・・・・

 

 

普段私が映画を観るのは布団の中のネトフリの小さなスマホ。観るのはいつも邦画ばかり。洋画は生活感や声のトーンや身振り手振りにリアリティを感じられなくて、映画の中の人物にどうも感情移入できなくて、一緒に泣いたり笑ったりできないのであんまり好きじゃない。(キュートでビューティフルな映像を観て女の子気分になるのにはいいけれど、アメリとか)

だから洋画を観に映画館なんて高くてそうそう行かないし、わざわざ行って観たのは『レ・ミゼラブル』『IT』『パラサイト』・・・と並べるのが恥ずかしくなるほど名前を知らない人はいないような作品ばかり。(しかも全部誰かに誘われて観に行ったのでもし誘われていなかったら…)

 

そんな私が初めて自分の足で観に行った洋画かもしれない。

劇場が暗くなると同時にどんどんミッドサマーの世界に引き込まれていった。ゾッとするほどの映像美。青い空、草原、白い崖、鮮やかな花冠を被って刺繍の白いワンピースで歌って踊る少女たち、、、ラストシーンから暗転してエンドロールが流れた時、夢から醒めたようにハッとするほど時間を忘れて映画の世界にのめり込んでしまっていた。美しいシーンばかりだったのに、まるで悪夢を見ているかのような二時間半だった。こんな感覚は初めてだ。映画の後友人とご飯を食べて関係ない話をしながらも、どこかで胸がざわざわ、頭の中で疑問点がぐるぐるしていた。

 

観終わった後のふわふわモヤモヤざわざわした気持ちに乗じて幼い頃ぶりに映画のパンフレットを買ってしまった。家に帰って端から端まで読み、公式の解説サイトも上から下まで読み、謎が解けたり伏線が張られていたのに気づいたりしてどうしてももう一度観たい、確かめたい、観たい、観たい、、となってしまったので、少し高いがディレクターズカット版も観に行くことにした。

 

こちらは三時間もあったが、ワンシーンずつ咀嚼するように観ていたらびっくりする位あっという間で、こっちがびっくりした。(個人的にはどうせ観るならディレクターズカット版の方がわかりやすいかと。!)

今まで同じ映画を観に何度も劇場に足を運ぶなんてあり得ないと思っていたけれど、じっくり味わうその気持ちが少し分かった気がした。これからは気に入った映画は何度も観ちゃうかも。ネトフリかもしれないけれど。

 

 

 

ここからは内容に関わるお話なのでちょっとネタバレになっちゃうかも。これから観ようと思ってる人はちょっと飛ばした方がいいかもしれないです。

 

 

まず本作のウリ?であるカルト集落について。

私が先に書いたように洋画にも関わらず主人公に感情移入できた理由は、おそらく舞台となるカルト集落がアメリカ人の主人公達にとっても私達日本人にとっても限りなく異質で、集落内での異常な生活や儀式を通して同じ視点に立てるからだと思う。(説明むずいな  共通の敵みたいな事を言いたい。敵ではないんだけど)

そんな異常極まりないカルト集落なんだけど、最後では自分もその中に混ざったような気持ちになるんだよね。

カルト集落の人々はしきりに「家族」という言葉を用いていたのが印象的だった。「私達は、僕達はみんな家族だから…」と。家族だから、ダニー(主人公)が女王になった時にはみんなで喜び、クリスチャン(ダニーの恋人)が不貞を働いているのを目撃してしまった時にはみんなで悲しみ泣いていたのかな。旅の直前に妹と両親を亡くし、彼氏も自分を愛してないと察していたダニーにとって、最終的にカルト集落がユートピアになったのかなと思う。

友人が「あれで最後ダニーは幸せになれるのかな?」って言っていたけど、なれるんじゃないかなって私は思ってしまう。宗教にせよカルトにせよ、何かを信じている人ってすごくピュアなんだと思う。老人に崖から飛び降りさせたり外部から呼んだ人間を残忍な方法で殺したり、やってる事自体は非人道的極まりないんだけど(ポアだポアだポア)、彼らにとって殺すことは "死は救済、輪廻転生" だと信じているのだから、完全な善意で人を殺しているのだろう。完全にピュア。そのピュアさが不気味でおそろしいっていうのがこの作品のホラーポイントなんじゃないかなあ。

 

次に、ダニーとクリスチャンの関係について。

ダニーは妹と両親が自殺する前から抗不安薬を常用していてパニックを起こすほど不安定な女の子だったと思う。だから恋人に依存してしまう気持ちはよくわかる。一方で恋人のクリスチャンはダニーの依存にうんざりしている節があり、それをはっきり表に出さないながらも、身寄りをなくしたダニーに心ない言動をしたり、誕生日を忘れたりしている。ダニーはそれに気付きながらも、家族を亡くしてより一層クリスチャンに依存してしまっているため、彼が自分を愛していないことを見て見ぬ振りをしている。クリスチャンはクリスチャンで、波風を立てたくない、面倒なことになりたくない、という気持ちだけで行動しているように見える。ディレクターズカット版には二人の喧嘩のシーンがあるが、根本的に解決もしないまま翌朝には「なかったことにしよう」という雰囲気になっていて、二人が互いの嫌なところを見て見ぬ振りをしながら惰性で付き合っている様が垣間見られる。

ラストシーン、女王になったダニーはクリスチャンを生贄に差し出すことを選び、生贄達が閉じ込められた神殿が焼け落ちる様子を見て笑みを浮かべ、そこで物語は終わる。ダニーは恋人への依存を断ち切り、新たな家族を見つけて、そこで新しい人生を始めることができるという彼女なりの清々しいハッピーエンドなんだろうね。

好きと依存って別物だと思っていて、冷めた、もう好きじゃないって思うのは簡単だけど依存をなくすのって死ぬほど辛くて、特にダニーほど精神的に不安定だと本当にそうだと思うんだけど、この映画の場合はカルト集落の不気味で非現実的な出来事が続いて、そのうえ恋人の不貞も見てしまって、精神が限界になって狂ってしまった、その結果として依存を断ち切れたようにも見える。そうでもしないと依存を断ち切れなかったのかな。怖いね

監督はこれを失恋映画だと言っていて、だからこそディレクターズカット版では二人のシーンが多く追加されていたのかな?

二回観たけど、どちらもダニーの気持ちになって泣きそうになってしまったし、ダニーにはカルトの中でもいいから幸せになってほしいな。側から見たら気持ち悪いカルトでも、ダニーがそれを信じて頼ることが幸せなら、全然悪いことじゃないと思うの。

 

(追記)

二回観てもどうしても拭えなかった個人的な考えなんだけど、全部ペレ(集落に招いた大学の友人)の策略なんじゃないかな?と思ってしまった。ペレは明らかにダニーに好意を寄せていて誕生日に絵を贈ったり、自分がダニーの誕生日を祝った後にクリスチャンに耳打ちしたり(本来ならダニーの誕生日に気づいていたなら自分が祝う前にいち早く恋人であるクリスチャンに伝えるべきでは?ディレクターズカット版でわざわざ追加されていたシーン)、ダニーに直接「クリスチャンは君を守ってくれるか?」と訊いてみたり。挙げ句の果てにはダニーが女王になったときキスまでしちゃってる。そこで、ペレは妹のマヤにクリスチャンと性の儀式をさせるように仕向けて邪魔者のクリスチャンを消した。ラストシーン、イギリスから友人を連れてきたイングマールは生贄の志願をしているのにペレは志願しなかった。さらに言ってしまえば踊り慣れていないダニーがダンスで優勝して女王になったことすら不自然。ダニーを女王にしてクリスチャンを消させ、自然と自分と親しくなるようにするという、集落を巻き込んだペレの陰謀のように思えて仕方がなかったのだけど、パンフレットにも公式サイトにもそんな事は書いていなかったから私の考えすぎの妄想かもしれない。

 

(追記2)

ダンスのシーンに関して、参加する女の子達は揃って謎の飲み物(ダニーの足に草が生えている幻覚から、トリップする麻薬のようなものだろう)を大会前に飲んでいた。集落の女の子達は謎の飲み物を受け取ったり飲む際の儀式に慣れている様子からして、恐らく風習として今までに何度も飲んだことがあるのだろう。一方、ダニーが飲むのは当然初めて。(ドラッグはやったことはあるがこの種のものは初めてだったのでは?)集落の女の子達はこの謎の飲み物に言わば「耐性」ができていてそこそこの効きだったのに対し、ダニーは「耐性」がなかったためスーパーキメキメの状態になってしまい、突如スウェーデン語まで話せるようになり、結果優勝してしまったのではないか?

ここまでをペレが想定していたかどうかは不明だが、ダニーが初めて参加した大会で突如優勝するというやや不自然な展開はこれで説明がつくのではないか…?と考えた、が、これもまた私の考えすぎの妄想かもしれない。

 

 

 

そんな訳で、ミッドサマーの衝撃を何かにぶつけたくて取り留めもない文章を書いていたのだけど、二回観てパンフレットも買って、結局4400円もミッドサマーに課金してしまった。シャネルのリップ買えるじゃん。でもまあ、感動はプライスレスみたいなところあるし、たまにはいいよね、というお話です

 

 

お食事パパ活とその批判からみえる現代日本人の精神性

 

一年前くらいになんやかんやで人生終わった〜と思ってからは基本的に捨て身で人生何事も経験‼️というポリシーで生きてるんだけど、たまたま機会があって所謂パパ活というものをやってみたのよ、

 

まずは相手探し、最初は高収入男性向けパパ活専用サイトに登録して探してたんだけど、そこはもう高収入目当ての女側が重課金プレミアム会員の男に群がるような状態で、私が交渉のメッセージ交換に慣れていないのもあって呆気なく生存競争に負け、全く会ってくれる相手が見つけられなかった。食事やお茶だけで諭吉を差し出してくれる人には出会えなかった(その時の私は本当にお金に困っていたので五千円ぽっきりでも会おうかと迷ったりした)が、普通の出会い系サイトにフィールドを変えるとあれよあれよという間に交渉が成立し、何人ものパパ(笑)と会う約束を取り付けることができた。

 

 

一回きりの人、何度も会った人、色々いて結局全部合わせて二十人位だと思うんだけど、どれを思い出しても男ってゴミだな…という感想に終結してしまうんだよね、

 

ケース1:異常セクハラおじさん

おじさんが金を払ってまで女子大生と一緒に食事をしている以上、話の中で多少のセクハラは仕方ないと思うんだよ、だけどなあ、飯を食いながら何度も「〇〇チャン、絶対・・・しようね♡」と繰り返されたりすると今さっき食べた美味しい生牡蠣が食道を上ってきておじさんに向かって吐き出してしまいたくなるんだよ、わかる?それだけならまだしも思い出すのも嫌な事をしてくる奴もいた、還暦越えたジジイの方が恥ずかしげもなく性欲むき出しに露骨なセクハラをする傾向にあり。注意

 

ケース2:長時間拘束説教おじさん

これは字面の通りなんだけど、「僕がこういう事をしているのはこういう素敵な高いお店に来たいからで、別に相手がいないとかじゃなくて会社の部下を誘っても変な風に思われるし、だからこのお店に一緒に行ってくれる人を探していたんだ」と彼は早口で前置きをし、三時間半位ひたすらマウンティングを続けた。お前はそんなんだからそんなんなんだよと思った。こいつ含め、会社の人事っていう人が割と多くて就活生はこんな大人達に振り分けられるんだ…ってちょっと絶望したよね

 

ケース3:素敵おじだと思っていたのに

その人は毎回毎回めちゃくちゃお洒落なお店やジャズライブに連れて行ってくれて、気遣いもできてスマートで話も合って、素敵な方だなと思っていた。しかし何度目か会った日の夜、「気分を悪くしたらごめんね、〇〇ちゃん大人はだめですか?」というラインがあって私は丁重に断った。すると、それからというもの一度も誘われなくなり、完全に切られてしまった。そんなんどんなに素敵な振る舞いができる人も結局男で体目的なんだなあと思っちゃうし、ちょっと悲しいよね、あの話もあの気遣いも全部全部セックスのための段取りだったんだなあとか思うと軽率に病むよね、こっちもあの話もあの媚売りも全部お金のためだったから病む資格もないんだけどさ

 

ちょっとピックアップしてみようと思ったんだけど思い出して楽しいものでもないから止めるね、何が言いたかったかというと結局全部ギブアンドテイクで、あっちは時間を買いたい、こっちはお金がほしい、っていう契約がいつも成立していたんだよね。文句をグチグチ言ったばかりだけど、その時はお金の為なら仕方ないなって当たり前に我慢してたし、当然だけどこっちから金を無理矢理巻き上げることもなく大体の人はいつもささっとお金を渡してくれた。

 

パパ活ってそれ自体が他の夜職に比べて圧倒的に批判されがちな風潮ない?この間某男性YouTuberが「パパ活女子」を金にがめつい!とか言ってバチバチに叩いてたんだけど、なんで叩かれなきゃいけないの?女の子を買いたい男の人とお金がほしい女の子の利害が一致してることの何が駄目なの?キャバ嬢はよくてパパ活が駄目なのはなんでなの?と思ってしまった。

自分を売って汚い金を簡単に稼いでる奴らっていう認識なんだろうけど、世のパパ活を批判してる方々はキャバや風俗に一回も行った事ないの?って感じだしそもそも別に楽して稼いでるわけじゃないよ、嫌な思いをお金のためにいっぱい我慢してるだけだよ、その感覚はバイトと変わらないよ、それにガルバとかキャバと違ってお店が守ってくれないから見知らぬ人と会うという過程だけで既にハイリスクなんだよね、きっとパパ活女子を目くじら立ててディスってくる男の人はそもそも楽して稼いでるっていう勘違いをしてたりそういうリスクを把握してなかったりするのと、自分がそういう稼ぎ方が出来ない僻みなのかな?確かにそんな思想の男には女も寄り付かないだろうし言わずもがなママ活の需要なんてあるわけないもんね、と思ってしまう最近

 

確かに食事以上の事をしてお金を貰っている女の子は沢山いてそれが法律上どうなのとかいう話は別だけど、私には食事で精一杯でそれ以上は死んでもできないと思ったから、そのメンタルの強さを尊敬するまであるし、それほどこちらにとってはハイリスクマックスストレスな事なのよね

まあ私がやりたくない理由はもう一つあって、ただでさえ人生ドロップアウト中なのに体で稼ぐのを覚えたら普通に金銭感覚バグって一生社会復帰できないと思うからです、結局ゴミで草なんだけど自制しているという意味で、ほめてください・・・

 

 

あの

 

 

すみません、

下書きに長文書き溜めすぎたんだけど人に読まれる視点で見たらどれも恥ずかしくて(公開してる記事も世の中的に恥ずかしいし、それ以前に人としての存在が恥ずかしい)短い文章ばっかり投稿してまう、自己満足だから別にどうでもいいのですが、読むに値するもの書きます、すみません

涙腺が脆い

 

私は有り得ない位涙腺が緩くて、マジで泣くつもりじゃ、、、みたいな所で泣いてしまって、マジですぐ泣く女みたいでキモくて嫌なんだけど、あくびしても涙ボロボロ出るからもう完全に体質なんだよね

 

この間酔っ払ってた時に観て涙がキラリ☆という感じでもなくウェーン、オンオン、ヒィヒィ、という感じで号泣してしまった動画

https://youtu.be/_3nAi0wEYjw

 

 

男の人って涙は女の武器だとか思ってる奴多いじゃん、実際私も泣くのウザいとか言われたことあるけど泣きたくて泣いてるんじゃねえし、泣かなくて済むなら泣きたくないよね疲れるし目腫れるし、結局何も考えられない人って最悪じゃない?私はよく泣く人間だけど、それでも辛いときとか他人の前とかだと泣けない人のことを泣くほど辛くはないんだな〜なんて思うことは絶対ないし、何が言いたかったかというと人の気持ちを勝手に判断して決めつけるのはゴミだということ(これは相手の言動をマイナスに捉えがちな自戒でもある)、あの、やさしい世界になってください

 

 

 

いつでも笑顔は100%

 

 

なんか、ずっと非公開にしてたし触ってなかったけど一年くらい前のわたしが頑張ってかきかきしてたの読んで深刻すぎてウケちゃったから、ひまな時に遺書のつづき書くことにした!

 

 

たぶん私マジでしょうもないことでしょっちゅう本気で死にたいって思って結局死ななくて、他人から見たら狼少年化してるんだけど、自分がこの時は本気で死にたいと思っていたんです‼️って証明するのってめちゃくちゃ難しいよな、結局救急車呼ばれたりとかしないと周りには認められないだろうし、でも死に損なって救急車呼ばれるとめっちゃお金かかって親に迷惑だろうし、もうそんな考えするのは辞めようって決めたんだ‼️ワラ